2017中心市街地探訪087・・新潟県新発田市 - 日本の城 動画まとめ





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2017中心市街地探訪087・・新潟県新発田市


2017中心市街地探訪087・・新潟県新発田市

新潟県の越後平野の北部に位置し、面積533.1㎢、人口は99,331人(2017.3.31)。江戸時代、新発田城の城下町として栄え、明治の廃藩置県で新発田県、その後新潟県に編入され、明治22年(1889年)の町村制施行で、北蒲原郡新発田本村と新発田町が成立した。明治34年(1901年)には新発田本村と新発田町の合併により新しい新発田町が発足し、昭和22年(1947年)に新潟、長岡、高田、三条、柏崎に続く県下6番目の市制を施行した。近年では、平成17年(2005年)に近隣1町1村を編入して現在の市域となった。 静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で東京まで行き、上越新幹線とき号に乗り換え東京から新潟まで約2時間、さらに白新線に乗り換え新潟から新発田まで各駅停車で約40分。 中心市街地は、JR新発田駅付近から新発田市役所周辺までのエリア。 商店街は延長1km以上も続き、その人口規模から見ても比較的大きな中心市街地だった。それは、江戸時代、溝口家が12代、274年にもわたって藩政が続いた城下町、明治時代以降は軍都、その後は商業都市として発展したという歴史的背景がある。しかし、街を歩くと商店街の歩道やアーケードは綺麗に整備されていたが人通りはまばらだった。何かのお店を誘致する、または郊外店を規制するということではその処方箋にはならない。歴史ある都市こそ今までの常識を覆すことは難しいことだが、都市に新陳代謝が必要ではないかと思った。古くから時代とともに変化してきた新発田の中心市街地は、再び大きな転換期を迎えたのかもしれない。 【JR新発田駅】 羽越本線と白新線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は3,705人(2015年度)。駅は2面4線の地上駅で、ホームが東側、駅舎が西側にある。駅舎には改札口や切符売り場などの駅施設の他、コンビニエンスストアが入っていた。駅を出ると路線バスやタクシー乗り場の他、一般乗降用スペースのある駅前広場が広がっている。 【新発田駅前複合施設イクネスしばた】 地上3階建て、延床面積5,158㎡、中央図書館の他、こどもセンターや市民活動施設などが入る複合施設で2016年7月にオープンした。東側に隣接する別棟の「MINTO館(2016年4月オープン)」には、コンビニエンスストアやクリニック、不動産屋の他、学生寮などが入っている。 【諏訪神社】 新発田の総鎮守であり、大化4年(648年)にお隣の北蒲原郡聖籠町の諏訪山に鎮座したのが始まりで、江戸時代中期に新発田藩7代藩主の溝口直温が現在の場所に社殿を建立し遷座した。 【清水園】 新発田藩主溝口家の下屋敷で敷地面積は15,200㎡。4代藩主の重雄の頃、遠州流の茶人「縣宗知」を招いて近江八景を取り入れた庭園が築造された。 【足軽長屋】 藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建ての八軒長屋。天保13年(1842年)に藩の普請奉行が建てた棟札があることから江戸時代後期に建てられたものではないかと考えられる。現在の建物は、1971年に解体修理に着手し翌年の1972年6月に復元されたもので、驚くことに1969年春頃までは住居として使用されていた。 【商店街】 新発田駅から西側へ、駅前通商店街、中央商店街、上町商店街、中町商店街、下町商店街と延長約1.3km続く商店街には片側式アーケードが設置されている。 【新発田市役所】 【新潟地方検察庁新発田支部】 【新潟地方裁判所新発田支部】 【中央町(歓楽街)】 【新発田城址】 江戸幕府の初代藩主「溝口秀勝」が築城を始め、三代藩主の宣直が1654年頃完成させたと言われる平城。当時は沼や湿地帯などの自然に防備された平城で、幕府に遠慮して天守閣を造らず、三階櫓を天守閣の代わりとしていたのが特徴。明治6年(1873年)の廃城令により、建物の大半は破却された。その後、陸軍歩兵第16連隊が編成され、現在は陸上自衛隊新発田駐屯地が城郭の大半を占めている。
動画ID:Kp87xjfJYnk
投稿日時:2017年07月26日 18時00分
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